SDMとは?
近年、がん治療はガイドラインに基づいた診療(EBM:evidence based medicine)が普及しています。一方で、標準治療以外の治療成績も向上し、患者さんが選べる選択肢は多様化しています。しかし現状では、医師が最適と考える治療法のみを説明し、患者さんの意向を十分に反映できていない診療も少なくありません。このような状況で、患者さんと医師が相談しながら治療方針を決める協働的意思決定(SDM:shared decision making)に基づく診療が注目されています。私たちは、その実現のために、治療法の選択肢や利点・不利益をわかりやすく示す意思決定支援ツール(pDA:patient Decision Aid) を開発しています。
食道がん患者に対するSDMの実装研究
本研究では、局所進行食道がん患者さん(stage II-III)を対象に、標準治療である「術前化学療法+手術」と、食道温存が可能な「化学放射線療法」の二つの選択肢について、理解を助ける動画主体のpDAを作成します。さらに、多施設共同で、このpDAを用いた実装研究を行い、pDAの有用性や治療後の生活の質(QOL)を評価します。得られた結果をもとに、さらにpDAを改善し、より良いSDM環境を整えていくことを目指します。また、今後は早期食道がん患者さん(stage I)を対象とした研究にも発展させていく予定です。

サステナブルなSDM診療「四方よし」に向けて
「がん」などの重大な病気を宣告されたあとに、患者さんが落ち着いて治療法を選ぶためには、十分な時間と情報が必要です。しかし医療資源は限られており、日本の医療経済は逼迫しています。過半数の病院が赤字経営に陥っている中では、患者さん一人ひとりに寄り添う診療の実現が難しくなる可能性があります。
このような状況において、協働的意思決定(SDM:shared decision making)診療は、患者さんが納得して治療を選択できるだけでなく、患者さんの意向に沿った治療法の選択や、医療従事者との信頼関係の向上をめざす診療方法です。一方でSDMは診療に時間がかかり診療の効率化とは相反します。そのため医療の持続可能性(サステナビリティ)についての検証を行う必要があります。
本研究では、SDMが国・医療機関・患者の全てにとって持続可能な仕組みとなりうるかを経営的、経済的、倫理的などさまざまな観点から評価し、SDMが「四方よし」となることを目指します。
また、慶應義塾大学病院の理念である「患者中心の医療を行う」ために、SDMを学術的根拠に基づいて推進し、社会的にも持続可能な医療モデルを確立していきます。

クロスリアリティ技術を用いた放射線治療の理解を深める没入型動画の開発
近年、クロスリアリティ(XR)技術は医療において新たな可能性を拓く技術として注目され、患者さんの病態や治療法の理解促進、学生や医療従事者への教育において利用されてきています。現在、XR技術を用いて放射線治療の様子を視覚的に体験できる没入型シミュレーションをシステム開発しています。具体的には、放射線治療の過程を収録した二次元の動画だけでなく、VRヘッドセットを用いて患者さんが放射線治療の実際の様子を現実に限りなく近い形で体験でき、直感的に放射線治療への理解が深まるよう支援することを目指します。患者さんにとって稀な経験である放射線治療を事前に疑似体験することで、未知の治療に対する不安を解消でき、閉所恐怖症や不安症の患者さんや小児の患者さんにも有効と考えます。加えて、医学部生や技師、看護師など医療従事者への教育面での効果についても検証予定です。

科研費 基盤研究 (C) 研究課題/領域番号: 次世代がん治療の選択支援:XR技術と意思決定ガイドを用いた放射線治療の普及 / 25K10944 (研究代表者)
早期肺がんにおけるインターネット上で利用可能な意思決定支援ガイドの作製
早期肺がんでは、外科手術による切除が標準治療として位置づけられています。一方、近年では体幹部定位放射線治療 (SBRT:stereotactic body radiotherapy) は、手術に近い成績が報告されています。日本の実臨床では主に手術不能、高齢者、または手術を希望しない際に考慮されており、手術可能な患者さんにはしばしば選択肢として提示されません。他方、アメリカやオランダでは、SBRTの割合は近年増加しており、オランダでは外科手術を上回っています。このため、SDMの一環として、早期肺がんの治療において手術およびSBRTの治療効果や副作用、日常生活への影響などを説明したpDA を作製しています。アンケート形式で各々の患者さんに最適な治療を模索することに加え、アバターを用いて視覚に訴えるナレーション映像を作製して組み込むことで、患者さんの理解を促進すべく改善を重ねています。
また、作成したpDAを山梨大学との共同研究で、実際に患者さんに使ってもらう前向き研究を検討中です。

AIが拓く次世代のSDM構想
近年、医療の現場ではAIを活用した支援が急速に広がっています。患者さんにとって医療は専門用語が多く、不安や疑問が残りやすいものです。本構想では、治療方針や副作用、通院スケジュールなどを、患者さんの理解度に合わせてわかりやすく説明する「患者向けAIエージェント」を作成し、日常生活上の注意点も理解しやすい形で提供することを目指します。不安軽減とセルフマネジメントの支援、医療者との円滑な対話も期待できます。さらに、SDMの場面では、AIエージェントがpDAをアシストします。患者さんが直接医師に尋ねづらい質問をAIにすることで、個々の価値観や希望を整理できます。これらはいずれも医師の負担を減らすだけでなく、患者中心の医療への橋渡しとなる存在です。

個別化放射線治療支援システムの構築
がん放射線治療において「どのくらいの線量が最適か」は、症例ごと、がんの塊の中でも部位ごとに異なります。本研究では、AIと画像解析技術を用いてがんの部位ごとの放射線感受性を定量的に評価し、腫瘍制御に必要な線量を推定する新たなモデルを構築します。さらに、大規模言語モデルを活用し、推奨線量とその根拠をわかりやすく提示することで、患者さんと医師が納得して治療方針を選択できるSDMを支援します。本システムにより、高リスク患者、高リスク部位にはより高い腫瘍制御を目指して高線量を、低リスク患者には副作用を抑えるために低線量を投与する情報を提供し、治療効果と副作用軽減の両立を実現することで、次世代の患者中心の個別化医療へと発展させていきます。
